「尾久町」の版間の差分

出典: 路上文化遺産データベース
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(西尾久2の角蓋を追加)
 
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==設置場所==
==設置場所==
===西尾久1丁目===
===西尾久1丁目===
西尾久1-25、大久保ビル脇にある小さな寺の境内に角蓋が1枚残っている。近くにもう1枚あったという情報もあり。
西尾久1-25、大久保ビル脇にある小さな寺の境内に角蓋が1枚残っている。寺近くの私道?にもう1枚ある。


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ファイル:尾久町角蓋.JPG|全景
ファイル:尾久町角蓋.JPG|全景
ファイル:尾久町角蓋風景.JPG|周辺の風景
ファイル:尾久町角蓋風景.JPG|周辺の風景
ファイル:尾久町角蓋(西尾久1丁目)・紋章.jpg|中央部分
ファイル:尾久町角蓋(西尾久1丁目)・全体.jpg|全景
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{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
!align="left" width="700"|確認記録
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*2011年9月6日 1枚めの現存確認([[利用者:Rzeka_52]])
*2013年5月26日 2枚目の残存を確認([http://blogs.yahoo.co.jp/aqua01242000/ 馬明の路上文化遺産と投資のブログ])
*2013年10月14日 2枚めの現存確認([[利用者:Rzeka_52]])
*2017年12月24日 2枚めの現存確認([[利用者:茶虎猫丸]])
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===西尾久2丁目===
===西尾久2丁目(撤去済)===
西尾久2-30/31の路地に西尾久1と同様式の角蓋が1枚現存。西尾久1の項の「近くにもう1枚」とはこれのことか?
西尾久2-30/31の路地に西尾久1と同様式の角蓋が1枚残っていたが現存しない。


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*林丈二「マンホールのふた 日本篇」(サイエンティスト社、1984)のp.56に同じ蓋の写真が載っている
*2011年9月6日 現存確認([[利用者:Rzeka_52]])
*2011年9月6日 現存確認([[利用者:Rzeka_52]])
*2012年4月7日 撤去を確認 ([[利用者:国鉄型すとーかー]])
|}
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===尾久宮前小学校===
===尾久宮前小学校===
小学校敷地内に1枚残っているという噂あり。
尾久宮前小学校の西の門の内側、玄関前に1枚現存し、公道上から確認できる。
 
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ファイル:ogu171224.jpg|全景
ファイル:ogumiyamaesyo.jpg|周辺
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{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
!align="left" width="700"|確認記録
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*2017年12月24日 存在を確認 ([[利用者:茶虎猫丸]])
|}


==展示場所==
==展示場所==

2018年2月27日 (火) 15:37時点における最新版

設置場所

西尾久1丁目

西尾久1-25、大久保ビル脇にある小さな寺の境内に角蓋が1枚残っている。寺近くの私道?にもう1枚ある。

確認記録

西尾久2丁目(撤去済)

西尾久2-30/31の路地に西尾久1と同様式の角蓋が1枚残っていたが現存しない。

確認記録
  • 林丈二「マンホールのふた 日本篇」(サイエンティスト社、1984)のp.56に同じ蓋の写真が載っている
  • 2011年9月6日 現存確認(利用者:Rzeka_52)
  • 2012年4月7日 撤去を確認 (利用者:国鉄型すとーかー)


尾久宮前小学校

尾久宮前小学校の西の門の内側、玄関前に1枚現存し、公道上から確認できる。


確認記録

展示場所

八幡児童遊園

西尾久2-5-9

蔵前水の館

執筆の途中です この項目「尾久町」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。